インターネット上で東アジアから東北アジアの僻地の事情を勉強し、
日本の文化と伝統のルーツを探り、日本の地位をグローバルな視点から見直そう
− 皆さんが日本語とロシア語と英語で意見を交換できる掲示板 EAST ASIA FORUM を用意しました−

BACKGROUND INFORMATION FOR THE BENEFIT OF THOSE WHO JOIN US TO DISCUSS ASIA'S HISTORY, CULTURE AND THE PROBLEMS SHARED BY ALL ASIANS IN OUR "EAST ASIA FORUM"
Prepared by Okamoto International Affairs Research Institute in support of the Virtual Foundation Japan's Projects in Asia
Tokyo, Japan -- Updated on May 13, 2001

日本人から見たアジアの中の日本 [No.3 (Revised Version) : 5-01]

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本テーマに関心のあるアジアの方々、そして世界中の皆さん、
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[I] 日本文化のルーツ

日本人が自分のルーツを考える時に注目せざるを得ないものは、東アジア地域に広く連なる常緑照葉樹林や落葉樹林に有史以前から共通して存在した「畑作文化」や、そのなかから広い範囲に展開して多様性に富むアジアの歴史の土壌となった「稲作農耕文化」です。

日本列島はユーラシア大陸の東端に位置していて、過去一万年の間に幾つかの異なった文化が、類似した気候条件と植生を持つ大陸の南北各地や、はるか南の地域から海を渡って伝播してきています。(参照地図:佐々木高明『日本文化の多重構造』小学館、1997, p. 30)

過去一万年の歴史のなかで、ユーラシア大陸の東端に位置する日本列島にはいくつかの異なった文化が渡来しそれぞれ融合してきました。それは、日本列島と類似した気候条件と植生を持つ大陸の南北各地の文化であったり、あるいははるか南の地域の文化だったりしますが(参照地図:佐々木高明『日本文化の多重構造』小学館、1997.p30)、そのような文化が渡来した時期=縄文時代は、日本列島の西半分は、遠くヒマラヤ山脈の山麓地帯に始まり、中国の長江の流域以南の広い地域を覆い、台湾と韓半島の南端を経由して日本にまで北上する(地図上の同一斜線地域)大規模な常緑樹林地帯の最北端の部分を構成していました。


この時期に存在した主要な農耕形態は、いわゆる『焼畑』と呼ばれるものでした。山の傾斜地の樹木を切って焼き払い、その跡にアジア系のヒエやアワを中心とする雑穀を粗放栽培したり、多様な堅果類、果実、野草を採取していました。このような農耕生活形態は、東アジアに広がるこの常緑樹林地帯やその周辺に居住していた人間の間に共通に見られた生業スタイルです。ところが、アッサムや雲南を中心とする半月弧地帯から長江中・下流域に伝播して発達した水田稲作は、その優れた生産性のゆえに他の雑穀栽培に替わり、農業形態の中心になりました。つまり、焼畑農耕文化から水田稲作農耕文化への移行がこの地域で長い時間をかけて進んだのです。その結果、水田稲作農耕文化は東アジア地域の各地に伝播しました。今日では、焼畑農耕は東アジア諸地域の高地や山岳地帯の一部にのみ存続しているだけです。

左の地図が示すように、数千年という時間をかけて長江の中流から下流の地帯に広がった水田稲作農耕文化は、この地域に独特の古代王朝文明を誕生させました。新しい生産技術を駆使して生まれた精緻な畦畔や水路と複雑な井堰と取排水口を持つ水田稲作農耕文化(下の写真参照)は、その後東から北の方向の東アジア地域(中国南部、韓国、日本)に広がり、紀元前数百年には、すでに日本列島の西端九州に到達しています(参照地図:佐々木高明『日本文化の形成』NHKブックス、1998.p96)。
 紀元前数百年に日本列島の西部に水田稲作農耕文化が流入した要因は、この時期にユーラシア大陸の東北部で起こったドラマチックな政治的、文化的変動の不可避的な帰結と考えられますが、その後、急速に日本列島中央部に波及し、4世紀には今日の奈良県にあたる地域に古代大和国家を成立させるに至りました。

そして、それと同じ時期に日本の北東部には、アルタイ系言語を話す主とするツングース系の人々の流入がありました。それらツングース系の人々はユーラシア草原を経由して伝来した西域系の農作物や農耕法を持ち込んだことがわかっています。その農法は南方由来の水稲栽培農法とはまったく異なるものでした(参照地図:佐々木高明『日本文化の多重構造』小学館、1997.p35)。

このような南北からの文化伝播とその衝突と融合は、古代日本にきわめてユニークな複合文化を生み出したと言えます。つまり、豊かな水田稲作農業の基盤の上に開花した奈良の古代文化と、その文化の継承の上に成立した京都を中心とする平安の貴族文化は、12世紀初頭に東国の辺境の地に起こった騎馬武士団の尚武的武家文化と結合し、その結果成立した中世日本の武家社会が天皇家を中心とする京都の公家文化と相互補完的に共存するという日本固有の複合文化を生んだのでした。これは、南と北から日本列島に流入した相異なる文化の交配と融合の産物に他ならす、「稲作文化」が中世日本社会の基本的な経済的・社会的枠組を支える持続的基礎を提供し、その上にこそ鎌倉時代から明治維新までの長期にわたって存続した武家文化が成立したのはかくれも無い事実です。しかし過去の日本では、ソ連邦との間の政治的障壁のゆえに北東アジアの文化の影響を多方面から実証的に研究する努力は非常に困難であり続け、『日本文化の多重構造』の解明の本格的努力は実はごく最近、特にソ連の解体以後に可能となったという事実を見逃すわけにはゆきません。

このような歴史的事実を踏まえて、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンのアジアでのプロジェクトは展開されました。すでに日本からの支援が始まっているネパールや極東ロシアの沿海州の地域社会の生活改善プロジェクトに加えて、2001年度から2002年度にかけては、北東アジアの更に多くの地域で、日本に固有の伝統文化の中の北のルーツにつながる地域と、そこに住む先住民族との交流を可能にするプロジェクトを立ちあげる準備を進めています。
1997年度以来のプロジェクトによって、、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは、東アジアと北東アジアの現地社会との直接交流と情報の交換を可能にする機会をインターネット上で提供しており、皆さんが日本文化の生きた源流に触れることを通じて、東アジアと東北アジア全体の伝統文化をより深く理解し、21世紀初頭に私達がこの地域で直面する諸問題について相互学習するための絶好の機会を提供できると確信しています。インフラのない僻地社会との交流については、小型通信衛星を使ってインターネットへの直接アクセスも近い将来に可能です。



[II] 、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンのアジア地域プロジェクトとその歴史的意義


岡本国際問題研究所がアジア地域での、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンのプロジェクトを全面的に支援することに決定したのは、これらのプロジェクトに一人でも多くの日本人が参加することによって、アジアの人によるアジアの僻地社会により効果的な支援が可能になると確信したからです。

特に、北極海からアムール河を経由して中国、更に南に広がるアジアの多くの地域で現実に起こっている森林破壊や大気、水質汚染など、生活環境の急速な劣化が我々の日常生活を直撃しており、アジアの資源に大きく依存して生活を営んでいる我々日本人にとっては重大な関心事だと言わざるを得ません。こうした自然環境の破壊と生活環境の劣化に対処するために、現在バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは次のような問題領域を対象にプロジェクトを実施しています。


 現在実施中のプロジェクト領域の一つとして挙げられるのは、(1)僻地社会の生活改善運動の支援で、その一例がネパールヒマラヤの山岳集落への太陽エネルギーを利用した発電装置による夜間照明システムの導入です。ネパールでは夜間の照明を確保するために、多樹脂性木片を松明(たいまつ)のように燃やして燈火として使用しています。しかし、それはその地域に暮らす人々の健康に重大な悪影響を及ぼすだけでなく、植生の再生条件が厳しいヒマラヤ高地の森林破壊の要因にもなっています。そうした生活慣行を改善しようというネパールの地域社会の人たちの努力と希望に、私たちは支援を惜しみません。

 第二の例にあげられるのは、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイ、フィリピンや中国南部などの稲作農家が近代的な穀物貯蔵システムを持たないために、毎年収穫の20パーセントから30パーセントの穀物を虫害やカビの発生のために失っている問題の解決に日本が技術的支援の手をさしのべることです。日本の穀物貯蔵技術には優れたノウハウの蓄積があり、耕地面積を拡大する(=自然のエコシステムを破壊する)ことなく米穀生産の大幅な増加が事実可能なのです。

これらに加えて、日本が関係していて責任のあるアジアの環境破壊の問題があります。魚類の養殖などそれで、なかでも車エビの養殖と対日輸出という巨大な外貨収入をもたらす新しい地場産業としてのエビ養殖場の開発が思わぬ環境破壊の問題をアジア全土に生んでいると同時に、アジアの水田稲作農民の伝統的生活基盤の破壊という犠牲の上で進められてきている事実に私達は無関心ではいられません。

目を北東アジアに向けても問題は同じです。日本人の生活水準を維持するための住宅用木材の輸入の増加が極東シベリアのタイガと呼ばれる針葉樹林の無秩序な皆伐による寒帯から亜寒帯の森林破壊をもたらし、鮭類の産卵床を破壊することで北洋のサケマス資源に与える悪影響が危惧されているのが第三の例です。ここでも、有史以前からこの地帯を故郷として生活してきた、そして日本列島への北からの文化伝播に関わったアジア系先住民族の生活基盤の破壊が心配されています。彼らにとっては、森の自然環境を維持することが、サケマスの漁労や森での狩猟に依存する自らの生活環境を守ることとなるのです。

バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは、先住民族を中核とした僻地社会の村おこし運動を支援しています。タイガでの針葉樹の過度の伐採をせずとも自分達の伝統的生活を守りながら生活改善が可能な村おこしの方法を彼らは模索しているのです。そのような要望に応えて、昨年度は、日本からエコツアーのグループを試験的に送り込みましたが、美しい自然と豊なサケマス資源は十分に日本のエコツアリストたちを満足させてくれました。 私達は、この経験から、極東ロシアでは、森林資源の持続可能な利用と、僻地社会に住む人々の伝統的ライフスタイルの維持、発展は基本的には矛盾なく平和共存が可能だとの確信を得ています。そしてそのためにも、私たちはお互いの経験をアジア地域の人たちと共有し、必要な情報の交換と開示を徹底させ、近代化がもたらす負の結果を極力回避する方法を共同で検討できるインターネット情報システムを早急に構築すべくあらゆる努力を続けています。バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンのプロジェクトは自然環境を保護し、環境にやさしい近代化と、持続可能な経済発展の支援を通じて、アジア諸国民の生活の質的改善と向上に貢献することを目的としています。

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東アジアフォラム

バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンが
1998年夏から2000の秋までの期間に実施し、現在も継続中のプロジェクトの具体例を以下に紹介します


[III] プロジェクト事例

第1例

環境にやさしい太陽発電設備をネパールのヒマラヤ地区に

[バーチュアル財団はすでに1998年6月の時点でネパールで二つのプロジェクトを発足させています。その目的は、ヒマラヤ山脈高地に散在する村落がクリーンな代替エネルギーとして太陽発電機を使った自前の夜間電力照明システムを購入・設置するのを支援することです]

 ネパール北部のヒマラヤ山岳地帯の僻地には、『ゴンパ』と呼ばれる幾百もの仏教寺院が散在しています。宗教的な意味での精神生活の中心である仏教寺院はまた、それぞれの地域のコミュニティセンターであり、周辺の村々から多くの人々が集まってきます。

また、昔から寺院が地域社会の子どもたちに、我が国で言う義務教育(=寺小屋)に当たる教育を施してきています。この慣行は僻地の村々では今日まで続いています。

しかし、この地域では、村々はもちろん、寺院でさえ電灯やそれに代わる明るい燈火がないところが多く、白灯油が使えるのは贅沢とされ、ふだんは樹脂の多い木の根を燃やしているのが実情です。しかし屋内で煤の多い火を燃やすのは呼吸器や視力の障害など健康に大きな悪影響を与え、なかでも年配の僧侶の間では、視力の著しい低下がみられています。

 ところが、最近バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンの支援で、ネパールヒマラヤの二つの地区に明るい電灯がともりました。カトマンズの北郊のシンヅパルチョーク地区にあるタシ・チョイリンとぺマ・チョイリンの二つの修道院がその第一例です。これら二つの修道院はり、最寄りの村落であるメラムチにはカトマンズから車で3時間で行けますが、メラムチからはタシ・チョイリン修道院へは徒歩で6時間、ペマ・チョイリン修道院へは8時間かかります。この地域の寺院では『半農半僧』が一般的で、僧侶たちは日中は野良仕事に励む農民で、早朝(午前5時半)と日没後を勤行にあてています。僧院には窓が無く、建物の内部は昼でもほの暗いのですが、各種の宗教儀礼と共に行われる説法は数日にわたり、本堂には200人以上の村人が参加する夜もあります。

これら二つの修道院はカトマンズの北郊のシンヅパルチョーク地区にあり、修道院に最寄りの村落メラムチにはカトマンズから車で3時間のドライブでゆけますが、タシ・チョイリン修道院からは徒歩で6時間、ペマ・チョイリン修道院からは8時間の距離にあります。

第二の例は、ネパールの西北端の急峻なヒマラヤ山岳地帯で、北には中国、西にはインドと国境を分かつ辺境の地フムラ地区のタンゲン僧院での太陽光発電による電化プロジェクトです。下の写真は、電化作業の完成したタンゲン僧院の屋根の太陽光発電パネルです。発電システムの設置に当たったロータスエナジー社の報告によれば、このシステムのパフォーマンスは予想を上回るものだったそうですから、通電後の僧院内の様子をぜひ見たいものだと考え、僧院内で撮った写真はすべて送ってもらう手続きをとったのですが、残念なことに、設営隊の使用したフイルムの光感度がASA100であった由で、屋内で自由に解像度のよい写真を撮影することは出来なかったようです。しかし、送られてきた写真の中から出来るだけ見られるものを選んでエンハンス加工を施したのが、設置作業終了後の僧院内の様子を示す以下のスナップです。

右の写真は、設置の終った屋上の太陽光発電パネルで、日中の陽光を受けて発電された電力が蓄電池に貯められ日没後のニーズを賄います。左下の写真は、タンゲン僧院での設営作業の完成に感謝して設営隊長が僧院のラマ僧から感謝のしるしとして白絹のスカーフを贈呈される儀式です。寺院と近隣の村の人たちもこれに参加して、今後この地域社会の生活の質的改善に大きな意味を持つにちがいないこのプロジェクトの完了を祝福しました。この後で、僧院では通電供養の儀式が始まります。なにしろこの地域社会の歴史始まって以来のショッキングな変化ですから、僧侶の皆さんにとっても、近隣の村落からの信徒の方々にとっても太陽光発電による電灯がこの地域社会の生活にもたらす意味がまっとうに理解できない状態があったと言います。

右下の写真は、僧院始まって以来最初の電灯で明るく照らし出された本堂で供養の読経をする僧侶を物珍しげに後ろから見守る村の子供たちです。中央正面の祭壇には、これも明るい照明に始めて金色に映える本尊の仏像が見えます。このような光景は、僧侶達の場合は勿論、僧院に集まった村人達によっても大きな驚きだったようで、最初はただ目をみはるだけだったと言います。無邪気に喜んだのは鬼ごっこや隠れんぼうに無心に興じた子供達でした。

以下の写真は、タングデン僧院での電化完成を記念し感謝するために特別に催された通電供養の様子です。左下の写真は本堂の座卓に正座して読経するチーフラマ、その右下では、読経に合わせて僧侶が『ンガ』と呼ばれる打楽器を打ち鳴らしていますし、左下では供養に集まった村の信者達が明るい燈火に照らし出された仏画を背に座についています。

これまでは暗闇に近い本堂でほの暗い灯油の下で行われてきた法会ですが、これからは参加する人々の誰もが、読経するラマ僧の姿も、尊い本尊や周囲の諸仏も、すべて明るい光の下で見ることができるのです。この事は、寺子屋教育についても言えます。本当の意味での『読み書き』の学習には明るい照明が欠かせません。そして、明るくなった教室では、これまでは容易に使用できなかった黒板やノート、鉛筆といった教材や学用品が使える可能性が出てくるではありませんか。

今年の冬から来年度の春にかけて、日本のスポンサー達は、タンゲンの人達が抱える、過去の負の遺産とも言える弱視や呼吸器疾患といった保健上の問題や、21世紀に向けてアジアの子供たちの教育をどのように考えるべきか、そして、日本人としてこの分野でどんな協力が出来るのかといった問題い取り組むのだと聞いています。


通電供養と今後の問題

チベット仏教の寺院のこのような風景は、チベット本国から、ヒマラヤ山脈の山麓沿いに、ネパール、ブータン、インド山岳部を経由する広大な山岳地帯を南に伸びていて、近代の物質文明から隔絶した秘境として、インドから直接伝播した古代仏教文化とその伝統を今に残しているのです。太陽光発電で環境にやさしい燈火システムが手に入ったタンゲン僧院では、今後は慣例の宗教儀礼に加えて地域住民の新しい地域社会の活動の場として積極的な役割を果たすこととなるでしょう。

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東アジアフォラム


第2例

ネパールヒマラヤの谷間のチベット系村落が過疎化防止の目的で若者のため起こした
チベット仏教の仏画(曼荼羅)アートスクール

ヒマラヤ山岳地帯の僻地村の過疎化阻止に頑張る人達を支援することでチベット仏教文化伝統の維持と継承に貢献しよう
Nepal Map
ヒマラヤ山脈は中国とインド、パキスタンを分断し、東に伸びてネパール、ブータン、アッサムを経てインドシナ半島の北端にまで及ぶ、海底が隆起してできた世界で最大、最高の山岳地帯です。ネパールの首都カトマンズには、インド北部に繋がる平野部に住むヒンズー教徒のインド系住民と、中部のヒマラヤ山麓高地から北部の険しい山岳地帯に古い昔からチベット仏教とその教を守って生きてきたチベット系の人達が混住していて、双方の宗教と文化が渾然と平和共存しているので知られています。
しかし、一旦北部山岳地帯に入ると、太古からのチベット文化が息づき、その伝統は今日まで山深い僻地のチベット系村落の住民によって受け継がれてきていて、日常使用する言語もチベット語で、ネパール語は通じない場合が多いのです。

日本は、アジアで19世紀から20世紀初頭にかけて独力で近代化を果たした唯で最初の国であり、第二次世界大戦後の半世紀にも多くの産業分野で目覚しい発展を遂げ、他のアジア諸国への直接投資や産業技術の移転という形でに貢献しています。西欧に倣って物質的近代化に成功すると同時に、自らの持つ古い伝統文化もしっかり守り続けてきた日本は、グローバリゼーションの進む21世紀には、アジアの諸国に対してどんな貢献ができるのでしょう。

バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは、従来型の経済協力の範囲を越えて、(1)経済発展のインパクトからアジアの伝統文化を守り、(2)アジア太平洋地域のアジア諸国が持続可能で多様な近代化の道を進むのを支援し、(3)アジアでのIT革命の進展の結果再び拡大しつつある貧富の差、すなわち言うところの「デジタル・デバイド(Digital Divide)」の解消を目指しています。
世界のIT革命の先端的地位を目指し、日本だけがアジアで先行突出を続けるという形で過去の「雁行型経済発展モデル」を再現しようという考えは21世紀にはもはや通用しないことは明白です。アジア地域全体の発展は、アジア諸国内部でのデジタル・デバイドの解消と、地域全体の自然環境の保護と、豊かな生態系と生物多様性の維持と矛盾してはなりません。それに加えて、21世紀の域内経済の発展は、この地域の人間が長い過去に育んできた多様な文化伝統と共生できる形で進められる必要があるのです。
バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンによるダーシャン・アートスクールへの支援計画は、21世紀にこのような新しい「発展コンセプト」を前提として構築されました。そして、そのための前提作業として、1999年の夏には右のチームが現地を訪問し、直接に問題の所在や、支援によって再開されるアートスクールの今後のあり方や経営上の問題についての調査を行ったのでした。以下は、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンの岡本の印象記からの抜粋です。

Hilltop 首都カトマンズは標高の高い台地にあり、ここに飛行機から降り立つこと自身がまるでかっての世界のベストセラー「失われた地平線(Lost Horizon)」の主人公に自分がなったような錯覚を覚えます。ヒンズー教文化と仏教文化が共存していて、我々日本人には、寺院や古い建造物を見ても、どれがヒンズーで、どこから仏教になるのかがなかなか判断がつかない程多様性が不思議な調和の雰囲気を生み出しているのがカトマンズの都市文化です。 Hilltop

しかしこれは、あくまでカトマンズという大きな都市に特有な景観であり、一度都市を離れた地方に入ると、文化、言語、それに人種的な相違がはっきりと目にみえるようになります。日本人の目と生活感覚からすると、やはり南の平野部のヒンズー文化よりは、北のチベット仏教文化の方に近親感を覚えるのは当然かも知れません。カトマンズを出て北に向かい、高原地帯を経てヒマラヤの山岳部に入ると、ネパールはチベットと国境を接していて、それと目に見える国境はなく、事実、チベット系の人たちは古い時代からの交易を通じてチベット本国の文化と今も直接につながっているのです。

ダーシャン・アートスクールに行くには、カトマンズから、ヒマラヤの連峰を左目に見ながら自動車道路を東に走り、幾つかの町や村を越えて右手に見えるなだらかな山脈に向かって右折し、いきなり始る穴だらけの赤土の泥道をジープで小一時間も走り、山のふもとの小さな村で山歩きの支度を整えた上で渓流にかかった釣橋を渡っていよいよ山道を登ることから始まります。

左の写真を見ると、まるで急流の河原のように石がごろごろしていますが、山道は激しく流れ下る雨水で土砂が洗い流されこのような険しい石ころ道になるのです。ゆるい傾斜の坂は赤土でかえって滑りやすかったりして、決して楽ではないのですが、途中、日本のそれとは異形の牛や羊を追う少年や、収穫物を背負った山里の人達や、たまには僻地の無医村を祈祷して回るシャーマン(みこ)と審神者(さにわ)達、といった珍しい風物に出会うことが出来ます。日本にも『恐れ山』や『ごぜ』といったものが今日でも存在していますが、ネパールの山岳地帯にも、いわゆるチベット仏教よりずっと以前から生き続けてそのまま残っているシャーマニイステイックな土俗宗教があるのです。日本を含む東アジアの基層文化に共通したシャーマニズムの伝統がここにも健在であることを痛感しました。

幾つかの小高い丘を越えて私達はやっと峠に辿り着きました。峠という言葉は知っていても、それが絵に画いたような美しさで自分の目の前に現れた時の感動は忘れられぬ記憶です。峠の頂きに一本の大樹があり、その根元に子供が一人ぽつんと座っていて、その先にぽっかりと開いた谷間には、眼下に広がる一面の緑の中に小石をちりばめたように散在する白い土塀の農家が巨大なパノラマとなって午後の明るい陽光に照らし出されていて、私は再び「失われた地平線」の秘境シャングリラの光景を思い出さすにはおれませんでした。

これから後は、急な山道を一気に下ってダーシャン・スクールのある村に向かいました。すでに、私達の来訪を予期していたのでしょうか。狭い山道には子供たちが両側に立って迎えてくれていました。この小さな山村の中心にあるのが質素なラマ寺院で、その向かいに、

白壁の二階建てのダーシャン・スクールが立っていました。私達は、校長先生にいざなわれて先ずラマ寺院に入りましたが、そこでは住職が歓迎の法会が私達を待っていました。鳴り響くドラの音に合わせての読経に一同はしばし聞き入っていましたが、日本の寺院や仏像が中国文化を経由して中国化されたものであるのに比べて、ここには中国化を経ない、日本人の目には異形の多数の仏像が鎮座していました。

法会が終りアートスクールに入った我々の前には、簡素な教室内のあちこちで若い研修生達が自分のタンカ(曼荼羅)に熱心に絵筆を入れている光景が待っていました。私にとっても曼荼羅の細密画が画かれるのを見るのは始めてであり、筆先の繊細さと線の精密さに驚き、先生に伺ってみると、何と、一枚の曼荼羅を仕上げるには、比較的簡単な図柄のもので半年、複雑なものは一年もかかるというのは驚きでした。村のうら若い女性が、研修をうけたとは言え、色調と言い細密な筆致と言い、これだけ立派な構図の曼荼羅を画けるというのは奇蹟に近いような気がしましたが、これこそチベットの人達の遺伝子に刷り込まれている文化伝統の遺伝子なのだと自分で自分に言い聞かせたものでした。

学校の先生やお寺の住職さんを中心に村の人達や研修生一同は、帰途につく私達を長い間見送ってくれました。夕暮れの気配が迫る山肌には、日本の縄文時代の食文化を垣間みるような稗、粟、赤米といった畑作物がたわわに穂をつけていて、不思議なことに山道の両側には日本のそれと全く同じ萩が群生して清楚な桃色の花を咲かせているではありませんか。私達は不思議な思いで山道を下りました。

2000年度を通じて竜谷大学の有志学生グループはネパールの若者が美しい自然の中の故郷を離れずに生活するのを支援するために始めた『ダーシャン・スクール』再開募金運動を続けましたが、京都、名古屋、東京の市民有志のご協力に加えて、バーチュアル・ファウンデーション・USAの資金協力を得て3千4百82ドルの目標を遂に達成し、2000年の秋にはスクールが再開されました。学生達を始め参加された市民の方々にとっても、インターネットを利用した国際ボランティア活動はこれが始めての経験となりますので、ダーシャン・スクールの経営をぜひとも成功させたいものです。

報告者: 岡本豊、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパン、2001年春

Nepal Map
仏陀ダーシャン美術スクール
ついに再開の運び

--バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンからの2001年度春の報告--

昨年度の皆さんのご支援のおかげで、ネパールのカブレ地区にあるタンカ(曼荼羅)画工養成スクールは昨年12月には遂に再会にまで漕ぎ付けることができました。今回は、太陽光発電による夜間照明システムの設置作業、開校式、それに最初のクラスの様子などの写真が届きましたのでご紹介できる運びとなりましたことはバーチュアル・ファウンデーション・ジャパンとしても大変にうれしく思います。

いろいろ新しい改善が出来ました

学校再開の過程では、ロータスエナジー社とヒマラヤ・ライト・ファウンデーションが共同ですべての必要な準備を整えてくれたのでした。ここに掲載した最初の二枚の写真は、太陽後発電パネルの設置作業と、教室内での配線作業を撮ったものです。
健康に害がある上に暗い松の根の松明の代わりにこの無公害な証明装置を導入することで、今回からは安全な夜間クラスを増設することが可能となりましたが、これは、昼間に家事その他の作業の手伝いに追われている青少年達の間で以前からクラスに参加を希望していた者にとっては福音となりました。

夜のクラス導入の実情報告

ヒマラヤ・ライト・ファウンデーションの職員で本プロジェクトを担当しているヤダフ・R・グルングさんからは、節目々々にレポートを頂いていますが、最近届いた電子メールの報告によりますと、「最初に入学手続きをとった48名の中で、現在35名が正規の画学生として勉学にいそしんでおり、13名が家庭の事情を含むいろいろな理由で通学が困難となりました。その結果、げんざいでは男子25名と女子10名が正規の学生として登録しておる」由で、グルングさんによれば「ギユルム・ノルブ先生は良いお仕事をなさっている」そうです。学生のうち75%が成績優良で、中でも3名は、先生の見るとこと特に優れた素質を持っているとのことです。毎日3つのクラスに分けて授業が行われており、午前中に2クラス、午後は休んで夜に1クラスとなっています。早朝のクラスは7時から10時までで、学生の数は17名、次ののクラスは10時から正午12時までで、学生は7名、夜間クラスは午後6時から9時までで、学生は11名という編成だそうです。

次の3枚の写真は開校式のものです。最初の写真はノルブ先生を正式にお迎えしている場面で、次の2枚は式典の模様です。ノルブ先生は、チベット仏教についての知識や教義の造詣の深い方で、タンカ(曼荼羅)スクールの先生としては大変立派な有資格者だそうで、慎重な選考の結果人選が行われてた由です。すでにこの先生が認めている優秀な二三名の生徒がいるとのことですから、晩い夏の季節がこの山深い谷間の村々に訪れる頃には、立派に市販に耐えるレベルのタンカが数枚は完成している可能性が期待できるようです。

昨年度にこのスクールが経営破たんに陥って閉鎖の憂き目に会った原因の主な一つが完成したタンカ絵画を適正な価格で販売する方法を持たず、前借り金などもあって中間業者の叩き買いにあった事実を記憶しておく必要があります。昨年度以来バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンの主導でこの問題を何とか解決しようという努力が重ねられてきましたが、とにかく、画学生やかれらの先生が、関心のある日本その他の外国の方々に直接に交流を持てる機会を作るのが最善の方法だろうし、そのような交流の中で直接に「私はあなたのその画を買いたい」という形で取引が成立すれば最高だという結論に達したのでした。

先進デジタル通信技術の利用に踏み切ります

これを実現するために、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンでは相当踏み込んで可能性の検討を進め、その結果、幾つかのテクノロジーを組み合わせてインターネット上にデジタルバザールを構築し、これを舞台にして日本の市民とネパールヒマラヤの山岳地の素朴なチベット仏教徒の方々、特に青少年同士の交流の場にするべく計画を進めています。

第一段階
まず、カトマンズ市内にあるコンピュータでアクセスできるインターネット上のE-バザールを構築します。この場合、タンカ美術スクールはまだインターネットへのアクセスは出来ていません。スクール側では製作中、および完成したタンカ(曼荼羅)をE-バザールに出品展示するには、現地でデジタルカメラで撮影したものを徒歩で山を越えてカトマンズまで持参しなければなりません。ですから、この段階では、作品に関心のある外国の方々と日常的にビジネスとして話し合う中から結果を生み出すというわけにはゆきません。(第一、第二段階が2001年のネパールでの中核プロジェクトになります。ここをクリックしてご覧ください。

第二段階
第二段階では、衛星通信分野での先端技術を使います。現在検討中なのはスクールに小型の地上ステーションターミナルを設置し、これを使って先生や学生が日常的に非常に低コストで電子メール交信を外部世界と行えるようにするというものです。この段階でのスクールはすでに通信に関する限りカトマンズと同等の立場に立てるわけですが、この衛星通信ターミナルは画像を受送信したりホームページを開いたりするだけの能力はありません 従って、このシステムが導入され、完成したタンカ作品を公正な価格で販売できる目安が立てば、先生にとっても学生にとっても大変な励みになることは請け合いですし、スクール自体の規模の拡大も視野の中に入ってくるし、遂にはこの谷間の村々の自発的創意から生まれたタンカ・スクールが経済的な自立を達成することさへ夢ではなくなるというわけです。
そして、もしこのスクールの経営を私達の支援を梃子として実際に軌道に乗せるこごができれば、これは単にこのスクールにとっての朗報であるにとどまらず、ネパール高原からヒマラヤ山麓にかけて数多く散在する小規模な集落にとって21世紀の村おこしのあり方について新しい可能性を指し示すことにもなります。

その次にくるものとは?
この段階では、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンと日本からの支援に参加された方々にとってはプロジェクトは成功裏に自己完結したのだと言ってもよいでしょう。つぎの仕事をタンカ美術スクールの皆さんと共同で考えるのもよいでしょうし、ネパールヒマラヤの他の地方の地域社会で今までの経験を活かして新しい支援活動を計画するのもよいのではないでしょうか。



2001春学期の学習の成果です:クリックで生徒の曼荼羅部分習作サンプルへ

2001年度には、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは、新設した ネパールと日本の間のインターネット交流フォラムに加えて、小型通信衛星を使ってだーシャン・スクールの先生や生徒、一般市民と、日本側で本プロジェクトに参加している市民を含む多数の一般消費者の方々が相互にメールやフォラムで話し合う場を提供するプロジェクトを企画しております。この対話の中から、スクールの経営や曼荼羅を始め学生の作品の日本でのフェアープライスでの販売といった可能性が生まれてくることを望んで止みません。そのような形での市民交流の結果日本からネパール訪問ツアーが組めればすばらしいことだと思います。

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東アジアフォラム



第3例

極東ロシアの沿海州やハバロフスク州の太古からの住民で日本人とルーツを共有する先住民族の人達に我々にできる支援を考えよう

サマルガ河中央部の美しい谷間に抱かれているアグズ村は、持続可能な地元経済の発展を自主管理の下で実現させる大きな可能性を持つ

(1)極東ロシアの地域社会が自主発展のためにぜひ必要な条件とは何か

昨年度のエコツアーはいろいろなことを教えてくれました。第一にそれは、いかに現地の自然が美しく、キャンプに、そしてサマルガ河で釣れる巨大な野生岩魚のすばらしさなど、数知れないメリットがあるにもかかわらず、川下りに使用する舟の船外機が古くて故障したり、谷間の懐の川原に張ったテントから雨がもるとかといった、一つひとつは小さい問題でも、重なればツアー参加者にとって大きなプレッシャーとなりました。

ウデヘの猟師が使う川舟は細身で、早瀬を渡るために底の浅い造りになっていますが、船頭たちの腕前にはまったく感嘆せざるを得ませんでした。サマルガ河は中流までは比較的川幅も広く、なだらかな落差がつづきますが、それでも淵や早瀬の連続で水深を瞬時に見分けながらの操船技術は私たちには神業にも見えたものでした。昨年夏にはこのタイプの川舟を7隻の船団に仕立てての川下りでしたが、できるだけお互いが視野の中での行動範囲にとどまるようにしていましたが、一隻でも船外機が故障すれば忽ち全船団の行動に影響してしまいます。


このような小さな問題を解決する大きな前提条件となるのが相互の船の間での交信、さらに、船とアグズ村の基地との間の通信手段の有無なのです。これさへあれば、故障部品の注文といった必要事項の伝達で小さい問題への対応は可能です。悪天候で予定が狂った場合などがその典型的な例で、村と現場の間でまったく音信不通の状態が続けば、例え村とハバロフスクやウラジオ、そして日本との連絡がとれた場合余計に心配の種が増えます。昨年の試験ツアーでは、アグズ村と外界との連絡方法は勿論絶無であり、村と現場との間の交信手段も無かったのが事実で、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンが無償で提供した風力と太陽光を使ったハイブリッド発電機が村に設置されたのが、この問題解決へのせめてもの第一歩でした。

事実、昨年の夏は、全員がアグズ村に帰ってから問題が起こりました。ハバロフスクからわれわれを迎えに来るはずのヘリコプターが悪天候のために丸2日遅れたのでした。日本とハバロフスクは当然電話でつながりますから、帰国寸前の当時日本からの問い合わせがハバロフスクのホテルにきはじめていたのです。それでも「行方不明」という事態が日本でパニックを起こす寸前に北の空からヘリコプターが現れ、最悪の事態は回避されたというのが実情でした。昨年秋以来、この問題への抜本的解決が無ければ次年度につながるエコツアー事業の計画はきわめて困難であるとの一致した認識から、何とかして信頼度の高い通信システムを導入しようと真剣な検討が繰り返されてきました。


(2)通信衛星を利用したユニークな交信手段の導入計画が進む

アグズ村に持ち込まれた上記のハイブリッド発電機は、米国イリジューム社の破産による衛星通信サービスの停止のため国際間のデジタル交信には利用できないままで2000年を終わりましたが、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンでは、これに代わる現存衛星通信手段のなかで利用可能なものを発見すべく調査を進めてきましたが、通信手段を含む近代的社会インフラがまったく無い僻地社会の住民と日本の大都会の消費者市民との間の直接交信を非常な低コストで可能にするシステムの開発に成功しました。そして、この第一弾は今春3月にはフィリピンのネグロス島の山間部の集落の住民と日本の消費者を結ぶプロジェクトとして発足し、夏には同じシステムがロシア沿海州の北部のサマルガ渓谷のアグズ村にも設置される運びとなりました。
これは、低高度軌道で地球を回る小型通信衛星を利用するために開発された地上ステーションのターミナルで、これを現地に設置すれば、世界のどことでも毎日数回から十数回の電子メール交信が可能となります。きわめて小型で操作が簡単な上に、ほとんど全天候に耐える性能をもっており、僻地での使用に最適です。バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンでは、これに多言語処理を可能にする翻訳サービスを組み合わせるので、日本の消費者が日本語で発信した電子メールは現地に英語またはロシア語で配信され、逆に、現地からのメッセージは日本語に訳されて私たちに届くようになります。

このようなわけで、21世紀の最初の年のすがすがしい夏にサマルガ渓谷のエコツアーに参加される方々は、日本人であれ、アメリカ人であれ、アグズ村の宿舎や、川下りの野営地から、何時でも本国と連絡を取り合うことが可能となるはずです。左の野営キャンプ地で釣ったサクラますと巨大岩魚が串刺しで丸焼きにされている写真をご覧ください。これは、日本海に開いた河口から舟で約1時間、両岸に原始林が茂る川岸の砂場での夜の歓談のひと時ですが、ここからでも日本に電子メールが送れる可能性が確実なものとなるのはまさにIT革命時代にふさわしい快挙と言わざるをえませえん。
バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンは、アグズ村の人たちと協力して、このゆたかな自然がはぐくむエコ食品、たとえば、現地で皆さんが自身が釣ったサクラますや巨大岩魚を立派な燻製にしてお土産に日本にもって帰ってもらえるような加工設備の導入を促進する計画も進めています。
2001年夏のエコツアーへの参加をご希望の方は事務局までご連絡ください
報告者: 岡本豊
January 19, 2001






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東アジアフォラム


第4例

環境にやさしい日本の穀物貯蔵テクノロジーを東アジアの稲作農家に


[東アジア地域では、米や他の雑穀類の総収穫量量の30パーセントが貯蔵施設の不備のために毎年失われている事実があります。バーチュアル財団ではまず手はじめにミャンマーの農民に対して、日本の米作農家が開発した環境にやさしい貯蔵技術の移転を支援することにしています]

 気象条件が稲作に適した高温多湿のモンスーン地帯の中心地に位置するミャンマーの稲作は南部に集中しています。しかし、ミャンマーの農家は、穀物貯蔵の不備ために安定した生活が約束されていません。これはミャンマーだけの問題ではあります。東南アジア諸国の多くの地域では、米の収穫量の30パーセントから40パーセントがカビや虫害によって失われています。高温多湿の気候条は稲作に適してはいても、収穫量の大きな部分が失われたのでは、健全な農業経営は不可能です。そしてこれは、単にアジアの農民にとっての損失だけに止まらず、全人類的な損失でもあります。これは、時折起こる武力紛争などよりも、ある意味ではもっと深刻な問題です。ですからいま、同じアジア地域の人間として、力を合わせてこのグローバルな影響を及ぼす問題に取り組まなけれなばなりまん。

 東アジア地域の稲作農耕文化の北限である日本は、比較的不利な気候条件の下での長い稲作の歴史の中で、最も手の込んだ稲作農耕技術の開発を余儀なくされて来ました。二千年以上も前に日本で始まった稲作農耕の高度の技術は、日本の国力と独自の文化的発展のための物質的基盤を提供してきました。今日の日本の米作農業は、生産面でのノウハウに加えて、米穀の貯蔵と流通の分野でも最新科学技術を駆使した高度なシステム確立しています。そして、この分野でこそ日本が、アジア諸国での穀類の途方もない貯蔵ロスを防止し、収穫された米を消費者に余すことなく届けるためのシステムを提供するという、重要な支援を行えるのです。

 特に、ミャンマーのように現存貯蔵施設の改善が急務である国の場合には、プロジェクトの役割は大きいと言わねばなりません。日本のテクノロジーが効果的に移転されれば、米穀生産を拡大しなくとも消費可能な生産量を実質的に大きく引き上げることが可能になるのです。

 この米穀貯蔵の最新技術の一つは、京都大学の満田久輝教授の下で研究開発に当たったチームが生み出した成果です。一般には『二酸化炭素冬眠貯蔵法』と呼ばれています。

この貯蔵法は、単に最もコストが低く能率の高い方法であるだけではなく、現在でも日本では主流の硫化メチルを使用する方法に比べてはるかに環境にやさしいテクノロジーであることが再認識されてきています。硫化メチル貯蔵法は、その環境への悪影響のためすでに期限付きで国際的に廃絶の方向が決定されていて、日本政府もその方針で進んでいます。

最近、ミャンマー政府は、この冬眠貯蔵用パック機械の実地テストを行い、稲作地帯を対象に全国15箇所の穀類貯蔵センターを建設する可能性の検討が行われています。

 バーチュアル財団ジャパンが現在真剣に検討中のプロジェクト原案は、日本の米作農家の団体とミャンマーの米作農家の団体との間に、技術、社会、文化の各分野での国際交流と相互協力の関係を構築しようとするものですが、その第一段階として、両国の大学と高校との間での共同研究と語学(主として英語)研修プログラムを予定しております。問題の正しい理解と世界共通語としての英語を共有するアジア諸国の若者達が本財団プロジェクトの架け橋となって、東アジアの稲作農家が相互に対話し、意志を疎通させながら結集し、新しい農事改良プロジェクトや、その他多様な地域社会の生活改善事業を、相互の理解と協力の下で共同で実施する地域ぐるみの運動が始まることが期待されます。


環境との親和性を認知された満田博士の驚くべき米穀貯蔵法とは


『冬眠米』と聞けば、米が本当に冬眠するのだろうか? と、思われる方は、遠い昔の学生時代に生物学のクラスで習ったことを思い出して下さい。 [満田久輝博士の講演集より引用]


『冬眠米』とは、二酸化炭素ガスを封入した機密コンテナーに貯蔵された精米に与えられたユニークなネーミングです。このユニークな米穀貯蔵のアイディアは、1976年に、当時京都大学農学部で栄養化学講座の担当教授満田久光博士(現在は、京大名誉教授で日本学士院会員)によって最初に考案されました。貯蔵中の米穀の劣化現象は主として酸化が原因であるとの想定の下に、同博士は冬眠する有機生命体内の酵素の働きについての基礎研究からこの問題の解決への端緒をつかんだのでした。

 遂に完成されたこの米穀貯蔵法は比較的シンプルな作業工程から成り立っています。まず、この目的のために特に開発された三種のプラスチックシートを重ねてラミネートした風袋に精白米を入れ、二酸化炭素ガスをジェット注入することで風袋内の空気を排除し、直ちに風袋をヒートシールする、というのがそれです。そして、この後で面白い現象がおこります。穀粒と二酸化炭素ガスの入った風袋は次第に収縮して、8時間から24時間を経過すると、風袋が穀粒に密着して、まるで真空パックのような状態になります(写真参照)。

『米穀冬眠貯蔵法』と通称さ、正しくは、炭酸ガス封入気密スキンタイトパッキング法と呼ばれるこの米穀貯蔵法は、単に精白米だけではなく、玄米その他ほとんど全ての雑穀類や、蛋白質を含有する植物粉末、例えば、大豆、麦、小麦粉といったものの貯蔵にも応用できます。スキンタイトパッキングの状態は、蛋白質による炭酸ガスの吸収の結果ですが、これは可逆性を持つ吸収作用で、一度気密パックが開封され『冬眠中』の穀粒が空気に触れると、緩慢な速度で二酸化炭素ガスの放出が始まり、24時間以内に吸収されていたガスのほとんど全てが回収できます。

『米穀冬眠貯蔵法』でパッキングに使用される風袋は、水面下や地下での貯蔵、長距離運送に十分に耐える強度を持つことが確認されています。この貯蔵法の長所を要約すると、(1)外部からの湿気やガスの侵入が完全に遮断されている、 (2)通常の外気の温度での貯蔵でも米穀の品質は高度に保持することが可能なので空調コストは最低に抑えることが可能である、(3)害虫、カビ、その他バクテリアの発生はほとんど完全に防止できる、(4)このやり方でパックされた米穀は、スキンタイトの固定状態にあるため、倉庫での貯蔵や運搬時の積み上げが容易で荷崩れがしない、ということとなり、(5)常温での貯蔵に最適の方法であり、一切の防虫薬剤は有害化学物質の使用は不必要となります。

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東アジアフォラム

Copyright and other related source information of the pictures used: Sources of Photos in this text, (1) ゥ Thomas Kelley, (2) OIARI, (3) By courtesy of Peter Riggs, RBF, New York, (4) OIARI, (5) ibid.,(6) ゥ Thomas Kelley, (7) ibid., (8)By courtesy of Peter Riggs, RBF, New York, (9) Dietary Life of Rice-Eating Populations, October 24, Kyoto, 1987, (10)Advancement of Application of Agricultural and Food Chemistry Award,Kyoto, 1981, (11) ibid.