すべてのアジア人にとってもっと普通で親しみやすい日本をみんなで作ろう

サマルガ河中央部の美しい谷間に抱かれているアグズ村は、持続可能な地元経済の発展を自主管理の下で実現させる大きな可能性を持つ

(1)ロシア語でプリモルスキー・クライと呼ばれる沿海州とは

一昔前までは、ウラジオストク市は、シベリア鉄道の東端の極東ターミナル(写真左)にドック越しに直結する海港でした。ロシア連邦時代の今日では、日本とロシアを結ぶ複数の国際空路が新潟と富山をゲートウエイ都市としてウラジオストクやハバロフスクとの間に定期サービスを提供していますが、国際飛行場は同市北郊にあり空路到着してからウラジオ市内には約一時間のリムジーンが必要となります。



日本海を越える交通手段がこのような急激な変化を遂げると同時に、ロシア国内の沿海州内部での旅行も、近年は、訪問先の選択、所用時間、利用可能な交通手段といった点では以前より相当自由で容易なものとなっています。私達が今回アグズ村を訪問した際の経験からもこのことが言えます。しかし、日本の旅行サービス会社を通じて詳細なロシア国内の地方旅行の旅程を組んだり、予約をとることは未だに困難であり、一般の観光ルート以外となるとロシア国内で一切を取り仕切ってくれる人物や組織が必要となります。

(2)テルネイスキー地区とは沿海州最北端の地方行政区画だ

沿海州には全部で24の地区があり、その中でもテルネイスキー地区(左地図参照)は同州の最北部に位する行政区画で、その北端の(右の拡大部)きのこ状に上のハバロフスク州に突出している部分はサマルガ河流域とぴったり重なっています。

ウラジオストクからアグズ村へ旅する場合、最も早い方法はウラジオから一時間半かけて小型ジェット便を利用してテルネイスキー地区の南端に近いプラスタン町に飛び、ここから車を小一時間飛ばして地区行政官庁の所在するテルネイ市に至り、同市のヘリポートから大型ヘリで更に一時間半かけてアグズ村のヘリポートに到着するというものです。沿海州全体の大きさと資源がいかに膨大なものであるかのほんの一端を読者におおよその実感をもって理解してもらうために、以下にサマルガ河のさけます資源を、河川規模の点でほぼ比較できる日本の北海道の石狩川のそれとの比較で見ておきましょう

(3)サマルガ河のさけます資源の規模はどの程度なのか

サマルガ河は、その流域面積が石狩川のそれのほぼ一倍半あり、豊かな流水量を持ち、さくらますとカラフトますの大群が毎年遡上産卵します。しかし、この資源は十分に利用されているとは言えず、河口で限られた漁労と塩漬け加工が行われているにすぎず、流域の河川は全く自然のままの姿で残っていて、さけます資源の量的把握もこれからという段階です。これに比較して石狩川の場合には、過去の乱獲や河川流域の工業化、都市化による水質汚染によってさけます資源は壊滅的打撃を受けておりますが、まだ近代化と工業化の被害の無かった明治元年から16年までの間の白サケ漁の推移を見ますと、その内8年間は毎年100万尾以上の漁獲を見ていて、この期のピークは明治12年度の194万尾、平均して107万尾にものぼる白サケが捕獲されれいるのです。国家歳入の確保に苦心した明治政府が当時課した過重なサケ税を考慮に入れると、実際の水揚げはこの公式記録を更に大幅に上回るものであったと推定されます。

しかし、だからと言って今日のサマルガ河が明治初期の石狩川と同等のさけます資源量を持つと言うのではありません。日露両国の公海上での近代的さけます漁業が、沿海州をも含む日本海沿岸全域の河川に遡上する野生さけます資源に累年にわたって打撃を与えて来ているからです。

しかし、これにもかかわらず、サマルガ河は、近代文明の汚れ知らぬタイガの森林の間を縫って深く流れ、水質汚染や魚類生息環境の劣化という言葉を未だ知りません。とりもなおさずこれは、この河が持つ潜在的さけます資源生産力は昔と寸分変わっていないことを意味し、流域河川の野生さけます資源は、高度の制度的な自制メカニズムと環境保護意識に裏打ちされた資源利用計画が立案、実施されれば、豊かな現在の資源水準の維持はもとより、大幅な資源量の復元を可能にする自然環境が存在しています。

(4)極東ロシアのウデゲ族のライフスタイル East

ウデゲ族とは、中国史の中で女真族と呼ばれるツングース系のエスニック系譜と、かって大金国を中原に打建てた北方民族の栄光の歴史をその過去に持つ極東ロシアの主要先住民族の一つですが、今日ではその人口が激減し、今日では、ウスリー河上流の支流ベキン河流域やサマルガ河中流域に二三千人が居住するに過ぎません。アグズ村はこのようなウデゲ族を中核とする集落であり、今世紀初頭以来のロシア人の流入によって生まれた豊かな民族的、文化的多様性がその特徴といえます。

(5)地元社会の過去と現在のライフスタイルの推移

黒沢監督の日露合作映画『デルスウザーラ』にもあるように、ウデゲ族の人々は、伝統的には東シベリアのタイガの森を棲家とする狩猟漁労民であり、アグズ村の住民の場合には、サマルガ河流域の深い森をその狩猟場とし、サマルガ河を周年漁場として豊かな縄文的生活を営んできた人達だと言えます。
しかし、今世紀に始まったスターリン時代のソ連では、コルホーズやソホーズに倣った集団生活と厳しい生産ノルマが強制されたのでしたが、黒テンを主とする野生動物の毛皮生産の目標を達成する限りは、まるでサラリーマンのような国家に保障された生活がソビエット時代には存在していたのです。

そして、ソビエット型の共同生活が提供した新しいライフスタイルはウデゲ族の自然の中での狩猟民の生活リズムを破壊したのでしたが、それはある意味では物質的近代化をもたらしました。集落での共同生活は、テレビや電気冷蔵庫に象徴される消費財が今までとは異なったライフスタイルと、近代的生活の豊かさの実感をウデゲの人々にもたらしたのでした。しかし、これらの電化製品の利用は、政府提供になる重油発電機の電力に依存し、その発電所の稼動には、これもまた政府の負担で持ち込まれる重油が必要なのでした。知らず知らずの内にウデゲ族の人々は、狩猟民族がかって持っていた独立不羈の魂を失い始めたのでした。
しかし、ペレストロイカ改革以後のロシアが経験した中央集権的計画経済の解体と企業の自由化と民営化の波は、1990年代を通じてウデゲ族が過去には既得権としてきた各種の政府補助金を次々に廃絶に追い込みました。政府補助金の枯渇が進むにつれてロシア政府経由の毛皮市場も崩壊し、アグズ村のような僻地社会は、単に補助金が途絶するだけではなく、伝統的生産物の市場をも失うに至ったのです。その上、今日でもなお続いている不自然な過去の人工的消費生活は、このままではまさに維持不可能となりつつあります。

(6)冷戦後のグローバルな規模の市場経済のチャレンジに立ち向かウデゲ族の人々

アグズ村のウデゲ達は、1999年度春に地球の友ジャパンの招待を受けて来日し、サマルガ河流域の資源の利用と対日輸出を柱とする地元産業の育成の可能性を打診しました。さらに、同年夏には、アグズ村在住の猟師/漁師達は、地元産業の育成を目的とした『アグズ先住民族協会』を結成しました。これを受けて地球の友ジャパンは 本年9月後半に現地にフィージビリティー調査団を派遣し、漁業と薬草の加工・輸出事業の育成可能性に関するフィールド調査を実施したのでした。

日本側のミッションは、地球の友ジャパンとバーチュアル財団ジャパンの協力の下に組織され、9月20日から28日の期間アグズ村を訪問、村の集会に参加、地元の発電プラントや代替エネルギー発電の可能性を調査するなど、地元の農林水産資源を基礎とした総合的な地場産業の育成可能性についての各種の現地調査が実施されました。
『実現可能性のある』地元産業の暫定的リストの上位には、(1)さけます資源を利用した現地加工・輸出事業、(2)韓国のジンセンと親縁関係にある寒帯種の薬草エゾウコギの加工・輸出事業と、これに加えて、 (3)原始の自然の中のサマルガ河とその流域のガイド付きのエコツアーがあり、これなどは日本を含む外国の観光客に沿海州の美しい自然環境を肌で知ってもらうための又とない機会を提供するはずです。

日本の市民ミッションはこの調査旅行を終えて9月30日に帰国しましたが、10月現在、(1)日本と沿海州のサマルガ河流域との間により便利で信頼性が高く、オープンな通信システムを確立する必要性を認識し、その実現可能性を鋭意追求中で、同時に(2)日本の国内流通市場側から見たプロジェクトの実現可能性について、具体的な検討が進められています。

報告者: 岡本豊
October 15, 1999

ここに掲載された写真はすべて1999年9月にロシア沿海州アグズ村を訪問した日本のFS調査ミッションのメンバーによって撮影されたもので、写真と本文の許可の無い転載を禁じます

英語バージョンへ すぐ前のページにもどる僻地村おこしのページにもどる |